うつりゆくもの 変わりゆくもの 石元泰博の世界14
色とかたちが重なって
ここに紹介している「色とかたち」という多重露出の仕事は、竹中工務店の企業誌『アプローチ』の表紙を長い間飾ってきた。
シルエットの美しい木立にシャッターを切り、そこに建築物などの人工的なものを重ね撮り、時には絵の具を塗ったスケッチ帳を撮ることで、遊び心のある一枚が生まれる。きりっと空気の締まった冬が特に良いらしく、多重露出の仕事は冬に集中する。端正なモノクロームの作品が多い中で、ちょっと珍しいカラーのユニークなシリーズである。
1984年、ずいぶん昔に掛けておいた生命保険が満期となり、まとまった資金が手に入った。「長生きの記念に」と、そのお金で多重露出の写真と滋(しげる)夫人の文章を一緒にして『色とことば』という小さな本を、石元私家版で出版している。2003年には多重露出のシリーズと「花」シリーズを集めた写真集『色とかたち』も出版している。多重露出の作品は、特別大きく取り上げられるシリーズではないが、こうして折に触れさまざまなかたちで発表されている。1953年から撮っているというから、一番長く石元のそばにいるシリーズではないだろうか。
更にもう一つ。カラー写真によるユニークなシリーズに1982年『アサヒカメラ』に連載した「食物誌」がある。スーパーマーケットなどでおなじみのトレーに、ラップでパッキングされた魚や野菜をアップで撮ったもの。パックには“真たい1250円”とか“天ぷらセット189円”など商品ラベルの文字が見える。この連載にも滋夫人のエッセイが添えられている。食べものにまつわる幼少時の話など、賑やかで軽やかに文章は進むのだが、世に氾濫する加工された魚や野菜“後は焼くだけ”の鮮度を失った食品など、食の工業化と大量生産、大量消費社会への疑問をさりげなく投げ掛けているのである。
去る2月22日(2006年)、50年の日々を石元とともに歩んでこられた滋夫人が他界された。写真界きっての鴛鴦(おしどり)夫婦といわれ、いつも石元のそばで賑やかであった。妻であり、アシスタントであり、プロデューサーでもあった滋夫人は、先述のほか、石元の写真集や展覧会カタログ、雑誌などにもよく文章を添えられていた。夫人の文章を読んで再び写真を見ると、不思議と厳格なはずの石元の写真が、鼻歌を歌いスキップをするかのように、生き生きとしたものに感じ始めるのである。
先の月命日に、親しい方々が集って「石元滋子さんを偲(しの)ぶ会」(滋夫人の本名は滋子)が行われた。桜を見る前に逝った奥様のために桜色の金平(コンペイ)糖(トー)と、「彼女はガラスが好きだったから」と石元が選んだバカラの小さな器、そして滋夫人の文章を集めた『遺文抄』がお土産に手渡された。
(掲載日:2006年5月2日)
影山千夏(高知県立美術館学芸課チーフ兼石元泰博フォトセンター長代理)