うつりゆくもの 変わりゆくもの 石元泰博の世界16

《日の丸》 1963年  ©高知県,石元泰博フォトセンター

日の丸の風景

サッカーのワールドカップ(W杯)は、ホスト国ドイツなど欧州勢がベスト4に進出、世界を熱狂させている。ジーコ・ジャパンは残念ながら一次リーグで敗退したが、私も日本チームのゲームを一戦だけ、まじめに選手入場からテレビ観戦した。試合開始前の国歌斉唱では、日本から合唱団を送り込んでいるのではないかと思うくらい、スタジアムに見事な君が代の大合唱が響きわたり、ちょっとびっくりしてしまった。

いわゆる国旗、国歌の問題は、特に学校の行事などで話題となるので、国際試合の国旗掲揚、国歌斉唱の場面になると見ているほうもちょっと緊張してしまう。フェイスペインティングはある種“のり”で、気軽に日の丸を身につけることができるかと思うが、声を張り上げ歌うことには、躊躇する人もいるのではないかなと思ったりしていたので、この大合唱は意外な感じがした。W杯出場3回目ともなると、サポーターも国際試合の応援観戦に慣れてきたのか、それとも勝利を願う思いの集結なのか。

日の丸や君が代の話は、いささかデリケートな話題なので深くは触れないが、石元は何となくこの日本人と日の丸の関係が気になって、集中して日の丸を追いかけた時期がある。1963年、オリンピックを翌年に控え、てんやわんやの東京を歩き回り、あらゆる日の丸の風景を撮っている。式典を飾る日の丸、和服姿の老女が握りしめる日の丸、ポールに絡まった日の丸・・・。

ここで紹介している作品は皇居内で写したものだ。石元はちょっと皮肉もこめてこの風景を写したという。おそらく(昭和の)天皇誕生日あたりだろう。靴を脱ぎ、すっかりくたびれたこの男性は、渡された日の丸をもてあますかのように、お子さまランチの旗のごとく、地面にブスッと立てている。少し傾き、よれた日の丸は愛らしくもあり、切なくもある。勝利を信じて全身全霊で選手を応援し、脱力したサポーターたちの頬の日の丸のようではないか。

シカゴにいたころも、石元は星条旗を頻繁に写している。日本とアメリカで過ごした石元にとって、国旗に対する両国民のあり方から、その国の抱える痛みや疼きのようなものを、写しだそうとしたのかもしれない。その意識が、例えば星条旗を手にする黒人の子どもに向けられた白人の視線だったり、翻る星条旗で顔が隠れてしまった中国系(日系)アメリカ人のカットだったりする。

7月4日はアメリカ独立記念日。今日、アメリカではどんな国旗の風景が見られるのだろうか。

(掲載日:2006年7月4日)

影山千夏(高知県立美術館学芸課チーフ兼石元泰博フォトセンター長代理)