うつりゆくもの 変わりゆくもの 石元泰博の世界18

《御陣乗太鼓(輪島)》 1963年頃 ©高知県,石元泰博フォトセンター

日本の祭り

高知の夏を彩るよさこい祭が終わると夏のピークも過ぎ、街はいつものゆっくりとした時間へと戻っていくようである。商店街の賑わいを求めて始まったこの祭りも今年(2006年現在)で53回。日本の祭りは神々への奉納や先祖への祈りはもちろんのこと、地域おこしとして行われる祭りも多い。それにしても、これほど全国に影響を与えた祭りは、珍しいのではないだろうか。

全国各地さまざまな祭りがあるが、ここで紹介している石元の写真は、石川県輪島市に古くから伝わる御陣乗太鼓の1カット。夜半、夜叉や鬼など妖気あふれる面を着けた男たちが勇壮に乱打する太鼓が、漆黒の海の向こうからやってくる。夏に開かれる同市の名舟大祭のクライマックスである。今から430年前のこと。上杉謙信の能登攻略の時、武器を持たない農民が木の皮で面を作り、太鼓を打ち鳴らして夜襲をかけ、追い払ったという伝説に由来するらしい。

石元は、石川県の無形文化財にも指定されているこの祭りを1960年代初めに撮影している。船上での踊りを海側から撮影をしたというこの作品からは、御陣乗太鼓の持つ激しさとともに、祭りにかかわる彼らの誇らしげな心の内が伝わってくる。

「この時が昔から続いていたお祭りのスタイルの最後」らしい。というのも、その後、祭りが特集でテレビに流れたことがきっかけで、一気に観光客が増え、見物しやすいようにと、船上ではなくステージで披露するスタイルが取り入れられるようになったからである。自分たちのお祭りとして素朴に行っていたものが、観光になってしまったのである。

やたら観光化されてしまうのは残念なことではあるが、多くの方に足を運んでもらい、観光の要となることが、伝統芸能継続の力であることも残念ながら現状である。何より、多くの方に自分たちが大切に継承してきた祭りを知ってもらうことは、町の人々にとって誇りとなるだろう。しかし、観光化は本来の祭りの姿を変えかねない。そうした文化の継承の難しさを石元は憂えている。

人が継承していく伝承文化は、少しずつスタイルを変化させて今に伝わっているのだろうから、変化は自然の流れかもしれない。神楽なども舞台上で観客に見せることも多く、人気も高い。神楽は神様に奉納するもので、舞台で行うのは邪道かもしれないが、別の場所で行うときには祈祷をしたり、結界をつくったりしてさっとポータブルに神の場をつくる。この柔軟さはとても日本的なのかもしれない。それとも神様の懐の深さだろうか。

幸い、守り受け継がなければならない先祖伝来の束縛がないよさこい祭りは、自由と変化あるのみである。そんなよさこいもここ数年は、どんなに晴天が続いていても、お清めのように必ず雨が降る。どうやら50年を過ぎ、この祭も神憑かってきたような気がする。

(掲載日:2006年9月5日)

影山千夏(元高知県立美術館学芸課チーフ兼石元泰博フォトセンター長代理)