うつりゆくもの 変わりゆくもの 石元泰博の世界20

《男鹿半島(秋田)》 1963年 ©高知県,石元泰博フォトセンター

雑誌の仕事

鍬を地に下ろし、慎ましやかに目を伏せる労働者の姿は、祈りを捧げているような静寂に包まれている。斜面の層、鍬の柄、絣の縞模様が、緩やかな均等を見せ、前掛けの水玉が優しいアクセントとなっている。

「当時は、こういうの着ていたんだよね、きれいな格好をしているよね。人間の尊厳がある」と、石元はいつもこの労働者の姿を見て感心している。この写真は、月刊『太陽』の特集「男鹿半島のおんな」(1963年)の取材の時、撮られたものである。今年(2006年)の文化功労者に選ばれた朝倉摂が文章を書いている。

斬新なテーマと美しい写真で、国内外の美術や文化を紹介する『太陽』(2000年休刊)は、石元が二回目のシカゴ滞在から帰国した翌々年の、1963年から創刊された。石元は2号目の「20世紀の造型」コーナーに始まり以後、同誌とのかかわりは深い。澁澤龍彦との「千夜一夜物語の世界」、遠藤周作との「九州石仏旅行」、松本清張との「古風土記」などなど。現在の石元につながる転機となった「曼荼羅」も、特集「弘法大師」で東寺の曼荼羅に出会ったことによる。

青島幸男や状況劇場、女子プロレスラーなど、当時の旬の人々を取り上げた「ズバリ現代」という68-69年に連載されたコーナーでは、三島由紀夫に無人の人力車を引かせ、当時三島が興した楯の会の主張に、「本当に人は乗ってきているのか?」という石元の疑問を映し出している。この連載では、厳格といわれる石元の、もう一つの顔ともいえるユーモア(時にはブラックな)を垣間見せてくれる。

石元は、雑誌の仕事を「自分の作品ではない」とよく言う。従って、作品もあまり見ることができない。自分の意思で撮るものと、頼まれて撮るものとでは違うのだという考えは良く分かるのだが、“徹底的に撮る”という対象への厳格な姿勢と、被写体を取り巻く“もの”“こと”への誠実さというものは、どちらも変わりがない。

依頼された仕事とはいえ、テーマについて調査し、執筆者の著書を読み、事前に自分なりに咀嚼した上で撮影に臨む。地方取材では、帰りの時間ぎりぎりまで、依頼された被写体にかぶりついて撮影をする。そうした写真家としての姿勢の中から、石元独自の解釈が生まれ、目には見えない被写体の本質が誌面に浮かび上がってくるのだろう。

編集の方から聞いたことがある。「石元さんの写真は誌面構成の際、トリミングができないほど完璧である」と。

(掲載日:2006年11月7日)

影山千夏(元高知県立美術館学芸課チーフ兼石元泰博フォトセンター長代理)