うつりゆくもの 変わりゆくもの 石元泰博の世界13

《曼荼羅》 1973年 ©高知県,石元泰博フォトセンター
《曼荼羅》 1973年 ©高知県,石元泰博フォトセンター

禁欲の中のエロス

「伝真言院両界曼荼羅(まんだら)」は京都の教王護国寺(東寺)にある。胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅の二副一具の作品。大きさはそれぞれ約180×150㎝。大柄な男性が両手を伸ばした位の四辺の大きさの中に、千を超える夥(おびただ)しい菩薩や明王、餓鬼畜生、天女などを描き、真言密教における唯一絶対の存在である大日如来の世界を表している。

この作品は9世紀後半に描かれたと推察され、絹本彩色の真言密教曼荼羅としては、わが国最古のものといわれている。昨年(2005年)、弘法大師帰朝1200年記念で、東寺にて特別公開されていたのだが、残念ながら見過ごしてしまった。しかし、見られたとしても薄暗い中、遠くから拝むことしかできないので、何が描かれているのかはっきり読み取ることはできなかったかもしれない。

石元は、月刊太陽「空海」特集の取材で1973年にこの曼荼羅を撮影した。東寺の曼荼羅に描かれた菩薩の表情に、禁欲的な宗教画の世界を漂うエロティシズムを見、そして魅了された。「傷みが激しいから」と撮影を断られ、一旦は他の曼荼羅の撮影も考えたが、あきらめ切れずに再訪した時、たまたま特別展示されていたので、再度交渉し条件付で一部につき撮影の許可を得た。

その時、寺側にファインダーを覗いてもらったところ、寺の関係者はその表情の豊かさや色彩の鮮明さに驚きを示し、その結果、この撮影の意義を理解してもらうことに成功し、本格的な撮影を許された。その成果は「曼荼羅展」として国内外を巡回し、平凡社より超豪華特装本も出版された。「曼荼羅」により、1978年芸術選奨文部大臣賞と、日本写真協会年度賞を受賞した。

石元は曼荼羅の撮影の中で、“不二”という言葉を知った。正と負、理性と知性、善と悪、様々な対峙するものは実のところ“二つにして二つにあらず”、それらすべての中に宇宙そのものを見ようとした世界観である。

曼荼羅との出会いを『桂』の中で、石元はこう記している。「(私はこれまで)余分をぎりぎりまで除いて端正を求めた。しかし果たして端正とは何物の付加をも許さぬほど狭量だろうか」「加えようが取り去ろうが、依然としてあり続ける、そんな美しさもあるのではないだろうか」。そして以前は余分なものと感じていた桂離宮の装飾に、あらためて向かってみようという気持ちが膨らみ、再び桂の撮影に臨んだのである。しかし曼荼羅の撮影は桂のみならず、以後の石元の仕事のありようにも大きく影響を及ぼしたのではないか、とさまざまな作品を見て感じるのである。

モノクロームの作品が多い中、石元の数少ないカラーの仕事であったが、新しい現像液の切り替え時期だったためか、現在フィルムは変色し、残念ながら今はその鮮やかな色彩にお目にかかることができない。最近は、コンピュータによる色彩復元の技術も進んでいるので、貴重な歴史的資料でもあるこの「曼荼羅」の輝きが再び取り戻されることを切望するのである。

(掲載日:2006年4月4日)

*その後、フィルムの一部がデジタル復元され、『両界曼荼羅』(平凡社、2011年)が出版されました。

影山千夏(高知県立美術館学芸課チーフ兼石元泰博フォトセンター長代理)