うつりゆくもの 変わりゆくもの 石元泰博の世界4

《シカゴ こども》1950年頃 ©高知県,石元泰博フォトセンター

シカゴの黒人街

6月から8月にかけて、シカゴでは、ブルースやジャズのフェスティバルが盛大に催される。中でも「シカゴ・ブルース・フェスティバル」は世界で一番大きい無料のブルース・フェスティバルで、多くのブルース・ファンがやってくる。出演者もアマチュア、プロを問わず、目いっぱいブルースを楽しむ。黒人音楽は南部が本場という印象があったが、シカゴ・ブルースと称されるだけあって、いまやシカゴが“キャピタル・オブ・ブルース”ブルースの本場なのである。第1次世界大戦の戦争景気により、鉄鋼業や商業が発展していたシカゴには、職を求めて南部から多くの黒人が移住してきた。シカゴ・ダウンタウンの南方サウスループには、中心街に沿うように黒人街がある。石元の通った学校がスラムの近くにあったので、よく撮影に出かけ、時には「名前のないストリート」というテーマでスラムの子供たちを撮影した。このころのスラムは、さほど恐い場所ではなかったそうだ。

そんなスラムの一角に、シカゴ・ブルースの誕生の地でありブルースの聖地として知られる、マックスウェル・ストリートがある。ここでは、クラブの中ではなく街角が舞台であり、アパートやショップから電気コードを引き出し、ストリートライブが盛んに行われた。ライブだけでなく、露天市場も立ち並ぶ。

学生時代石元は、このマックスウェル・ストリートの人々を動画で撮影し、友人で写真家のマーヴィン・E・ニューマンと短編ドキュメンタリー映画「The Church on Maxwell Street」(1951年)を制作している。路上でライブをするミュージシャン、彼らを囲む群集、特別なパワーにより不治の病を治すインチキ治療師などが記録されている。

カメラは、音楽に合わせてリズムをとる仮病の男の足を、垢にまみれた男の手を捉える。石元の写真を撮る視点がこの映画にも色濃く表れている。映像は粘りのあるモノクロームのコントラストが美しく、ユーモアのあるかっこ良い映画である。

この通りは1940年代から60年代を中心に賑わいを誇ったというから、まさに最盛期のマックスウェル・ストリートの姿が写されているのである。ミュージシャンたちも大物のようだ。

このほかにも石元は映画の仕事にかかわっている。1955年に写真家大辻清司と辻彩子とともに実験映画「キネカリグラフ」を制作、1964年に4カ国オムニバス映画「思春期」の日本編『白い朝』(監督は勅使河原宏)の撮影を担当している。

(掲載日:2005年7月5日)

影山千夏(高知県立美術館主任学芸員/石元泰博フォトセンター)