うつりゆくもの 変わりゆくもの 石元泰博の世界22

《水》1998年 ©高知県,石元泰博フォトセンター

目黒川の造形美

これが川面だと、果たして皆さんはイメージできるだろうか。目黒川を撮ったというから水面なのだろうが、私にはどうしてもモダンな一副の水墨画に見えてしまう。

目黒川は、目黒区や品川区を横断して東京湾に到達する都市河川である。「目黒川の下流の水は汚れて黒いから、写真としてはきれいになるんだよね。逆にきれいな川だと、また別な写真になります。シャッタースピードを遅くすると墨絵みたいになる。ちょっと変えるだけで表情が変わるし、日を変えていけば全部違って見えます」と、目黒川を写した一連のシリーズについて話してくれた。

高知には、四万十川や仁淀川に代表されるように、澄みわたり、生き物が生息し、子どもたちが川遊びをする暮らしと密着した清流がある。また、近くに清流がなくとも、その豊かな流れを写した写真を見る機会にもめぐまれているし、美しいと思う。「川が汚れているから、写真としてはきれいになる」。その言葉を聞いた時は、なんとも複雑な気分になった。

工業化が進み、汚水の垂れ流しやダムの建設などで、川の生命力が失われ始めて久しいが“澱んだ川には澱んだ川なりの意地がある(と川が思っているはずもないのだが)”。汚れた川もまんざら捨てたもんでもないような気もしてしまう。とはいえ、澄んでいるに越したことはないのだが。

さまざまに表情を変える目黒川の写真は、10年ほど前から撮り始めた。撮影の前には、新聞で満潮の時間や月齢、潮の状態などを小まめにチェックし、自宅から15分程てくてくと歩いて向かう。潮の状態で川のうねりが変わるし、光と風の具合でも変わってくるので、それらを見計らって、川の表情を写しに何度も足を運ぶのだ。まるで、海や川の源流へ分け入る大自然の撮影者のように、天気を分析し、ちょっとそこまでの都心の川へと出掛けていく。

レンズ越しに覗き見るだけではまだ姿を見せない目黒川の表層は、現像・プリントの作業を経て、初めて視覚化される。そして、撮影者の想像をも超えた姿が、印画紙に立ち現れてくるのである。それは時に水墨を滲ませた抽象画となり、ヒマラヤの氷河のような肌合いを見せ、風になびく茅の群生となるのである。

二級河川でお世辞にも美しいとはいえない目黒川も、その周辺には桜並木があったり、ショップやレストランがしゃれた雰囲気を作るエリアもあるようだ。近年は目黒川を取り込んだ、親水と憩いの場の環境設計が進められているようだが、石元はそのあたりには目もくれず、橋上からズイッと川にカメラを向ける。そんな謎の行動をとる年輩の男に「何をやっているの?」と、川沿いの人たちがけげんな顔をして聞きにきたりもするらしい。

(掲載日:2007年1月9日)

影山千夏(元高知県立美術館学芸課チーフ兼石元泰博フォトセンター長代理)