うつりゆくもの 変わりゆくもの 石元泰博の世界21

《東京 山の手線・29》1981-85年 ©高知県,石元泰博フォトセンター

東京 山の手線界隈

斜め45度の姿勢から、カメラ目線でポーズをとるネコは、なかなかのモデルっぷりである。この青果店の店主のような貫禄である。画面左で揺れる、宅配便の黒猫マークとの対比が笑いをさそう。この写真は、フィルムサイズ8×10インチの大判カメラで撮影されたものである。

8×10インチフィルムは、大体新聞1ページを4分の1に折ったくらいの大きさだ。普段私達が使う35ミリフィルムは、手のひらに握れるぐらいの大きさだから、8×10というフィルムはとてつもなく大きく、フィルムの情報量も格段に多い。広範囲の被写体を隅まで鮮明にかつ、しっとりと写し出す。

大判のフィルムは、巻きになっていないので、フィルムを1枚ずつカメラに差し込んで、大きなカメラをデンと据えて撮影する。このオッコウなカメラを抱えて、山手線駅周辺を撮影したのが、1980年代の「東京 山の手線・29」シリーズである。品川のビル群、巨大な団地、工事中の東京駅を撮る一方で、ゴミ収集のおじさんや、修学旅行生らしき学生、キャバレーの呼び込み、ちんぴら風の若者などを街中で記念写真のように撮っている。写っている建物や人々の服装から、昭和50―60年代の東京の街の様子を窺うことができる。

大判の写真は、大きく印刷されるポスター用や、結婚式などの記念写真といった特別な場合に使われ、日常の記録に使うことはまずないと思う(もっぱら今はデジカメが主流だが)。フィルムのサイズと、写す対象とのギャップが不思議で、石元に尋ねてみたところ「お遊びだよ。8×10にはその雰囲気があるんだよね。質感があるし」とかわされてしまった。

「それにしてもこんな恐そうな人が(ちんぴら風の)よく撮影を了承してくれましたね?」との問いには、「35mmはだめだけど、8×10は不思議とやってくれる。こちらが小さいカメラで恐々へっぴり腰で盗み撮りみたいにやると怒られるけど、逆に大きなカメラで、“逃げも隠れもしない”って感じでこっちが堂々とやっているから全然文句いわれない」のだそうだ。

大判カメラで撮られた東京の風景は、何でもない平凡な日常を記念日のような“ハレ”として演出しながら、“寂”とした切なさも感じる。間もなくバブル景気に突入し、建物がどんどんと建ち変わり、浮き足立っていく時代の流れの過程には、こうしたさまざまな、とりとめのない日常の積み重なりがあるのだろう。

激しく変貌する巨大都市東京を、流れるように撮るのではなく、ジッと立ち止まって大判カメラで真正面から見つめたこのシリーズは、撮られたものよりも、石元の挑み方そのものに、興味をそそられるのである。

(掲載日:2006年12月5日)

影山千夏(元高知県立美術館学芸課チーフ兼石元泰博フォトセンター長代理)